医師になるために

現役医師が紹介します。 ishps.org

はじめに

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当サイトでは、現役医師である管理人が、医師や医学部生の実態と受験成功のコツについてご紹介していきたいと思います。

これから医師を目指そうとされる方は参考になさってください。

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医師にはこんないいことが

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・社会的地位の高さ

医師の社会的な地位の高さについては高齢の方々ほど浸透している。

高齢になると即自らの命に関わるためもあるが、一昔前には医師はさらに絶対的な存在であった。今でもお医者さまと「さま」をつけてくれたりする。現在では治療方針について患者さんに情報提供して丁寧に説明し了解を得たり、いくつかの治療法を提示して患者さん自身に選んでもらうことが当たり前になってきているが、それでも高齢の方々の中には先生に全て任せますと、こちらを全面的に信頼し説明を聞こうとしない患者さんもいる。

医師に自分の意見を言うことに慣れていない高齢の方も多いのである。

・医者はもてる?

お見合いパーティーのネット広告に男性は医師・弁護士・パイロット限定などと書かれているのをみることがある。通常、この手のお見合いパーティーでは男性は審査が厳しく有料であるが女性は無審査で無料だったりするものであるが、医師参加の場合は話は逆である。

男性は独身で医師免許があればいいくらいであるが、女性ぱ家柄のしっかりしたご令嬢が条件だったりする。参加したことはないが医師というだけでかなり有利な条件を勝ち得ていると言えるであろう。

・謝礼

医師になると誰しも経験するのが患者さんからの謝礼である。公立病院では原則禁止されているが、それでも隙を突いて白衣のポケットに強引に封筒を入れられたりする。

返そうとしても患者さんが逃げてしまい、仕方なく次回まで預かることもあるし、医師によっては受け取る場合もあるであろう。

患者さんからの真摯な感謝の気持ちであり、強く拒否すると逆に信頼関係を壊すことにもなり兼ねない。その辺りは各自の責任で判断するしかないが、謝礼も積もれば馬鹿にならない額になるのだ。

得竟先、元請け、下請けなんてない

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医師は頭を下げる相手が基本的にいない。これは医師という仕事の大きな特徴である。

医師の相手は患者さんである一般大衆である。

当たり前であるが、実はこれが医師が頭を下げる必要のない大きな理由の一つである。

他職種と比較してみると、一般消費者をターゲットとしている企業では一般消費者がお客様であるので、要はその一般消費者に頭を下げさえすればいい。

例えばホテル、大手スーパーなどは、お客様には頭は上からないが、一方で商品を納入させている仕入れ業者には、少しでもコストを下げるようとても強い態度に出たりする。

“お前のところの商品を置かせてやる”、“使ってやる”という感じである。

私がかつて勤めていた建設関係の会社では、国や地方公共団体から公共事業を請け負っていた。このため役人には絶対に頭が上がらなかったし、どんなに無茶を言われてもひたすら耐えるしかなかった。

しかし下請けに対しては仕事を出す方であり、立場が逆であった。

このように仕事には職種間で上下関係を伴う。中には仕事の上下関係を身分の上下関係と勘違いしている相手先もいて苦労させられた。

会社員であれば誰しも同様の経験があるであろう。役人も出入り業者には横柄な態度に出ることもあるが、一般市民の苦情処理に頭を下げることも多い。

しかし医師の場合、唯一の得意先である患者さんに対して頭を下げ“診させて頂きます”といったとことは、よっぽど経営に困っている病院以外は滅多にないであろう。

医師不足が取り沙汰され数時間待っても数分しか診てもらえない現状では、“診てやっている”といった感が断然強い。逆に、患者さんの方から丁寧に何度も頭を下げられ感謝される方が多い。

つまり資本主義の構造上唯一頭を下げるべき患者さんから逆に頭を下げられるという状況であるため、医師は頭を下げる相手がいないと言える。

それどころか患者さんから余計なことを言われたりすると、すぐにカッとなる医師も度々いる。

患者さん側からすれば“なぜそんなことで怒るのだろう”という疑問も沸くのであるが、頭を下げる習慣のない職種だとその理由も分かるような気もする。

一方で、医師に頭を下げてくれる人たちはいくらでもいる。その代表格は製薬会社のMR(営業)さんたちである。とにかく自社の薬を使ってもらうために医師にお願いしなければならない。

公立病院では直接的な接待は受けられないが、それでも夕方になると廊下に黒い小奇麗なスーツをまとった端正な身のこなしのMRさんたちがズラリと並び、一斉に頭を下げてくれたりする。

本当に恐縮で、その中を歩くのは小恥ずかしい。

医学生や研修医はまだ学ばせてもらっているという謙虚さが残っているため、患者さんにも丁寧に接するしMRさんにも横柄な態度に出ることはないであろうが、いつまで続くかである。

医師は特別扱いされる存在

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“ヒポクラテスの誓い”というものをご存知であろうか。古代ギリシャの“医学の父”と呼ばれたヒポクラテスが唱えた誓いである。

実際そんなことはないが、世界各国で医学生が医師になる前に誓うと信じられているものである。

“純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う”といった類である。それ以外のヒポクラテスの言葉に“哲学を理解する医師は神にも近い存在である”という敬虔な言葉もある。

神に近いというのは極端であるが、医師には特別の倫理観・使命感、そして特権意識がある。

それは時代・国境を超越して世界中の今の医師達に受け継がれている。海外に行っても医師同士にはある種の連帯感のようなものがあり、国は違っても立場は対等である。逆に言えば、医師の間では医師以外の職種に対して、ある種の偏見を持っているのも事実である。

身分制度が根強く残るある国の学会に行ったときのことである。

医師に混じって我々を案内してくれる学会スタッフがいたが、現地の医師に対する上下関係は明らかであった。挨拶をする際にも医師は頭を下げないが、それ以外のスタッフは医師に対して両手を合わせ拝むように挨拶を返すのである。だから挨拶の仕方をみれば、相手が医師かそうでないかが分かるのである。

日本でも職種間の暗黙の上下関係ははっきりしている。学会に出席しても同じ内容の発表でも医師が言うのと、看護師や心理士が言うのとでは、重みが違うし周囲の受け止めかたも全く違う。論文も然りである。

一度、少年院の施設見学をしたくて電話をかけたことかあった。

電話に出たのは事務職員だったが、私の職種は伝えず話を聞いていた。さらに詳細を聞くために次に心理職に代わってもらった。

しかしもう少し詳しく聞きたい旨を話すと、逆に疎まれてしまい「あなたの職種はなんですか?」と聞かれた。私が「精神科医です」と伝えると相手の態度が一変して、少年院の最高責任者である院長にすぐに電話を繋いでくれた。同じようなことはいくらでもある。

用事があってどこかの施設に電話連絡する際、「医師の○○ですが、」と医師であることを告げるのとそうでないのとでも、対応が違ってくる。

また、ある人のことが話題になっても「あの人のやってることは凄いけど、医者ではないから」とか、何らかの意見を貰っても「でもそれは医者の言ったことではないから・・・」といった会話が周囲で頻繁にされているのを耳にする。

各施設でのもてなし方も特別である。まず言葉遣いが全く違う。どんなに年齢が離れていても、医師には基本的には皆敬語を使ってもらい丁重にもてなしてくれる。

こういうことが慣れてしまえば、医師の中では丁重に扱われて当たり前という考えが定着してしまう。だから時々とんでもない横柄な医師も出来上かってしまう。

そのような医師はぞんざいに扱われるようなことがあればすぐにカッとなって周囲に怒鳴りちらしたり、すねたりするのである。

しかし医師が特別扱いされるのにはそれなりに理由がある。理由の一つに患者さんの治療に全責任を負うことである。実際に患者さんを死なせたり後遺症を残したりして、遺族や患者さんから訴えられている新聞記事を見たことも多いだろう。

診察時や手術前には医師にはうやうやしい態度の患者さんや家族も、一旦治療が失敗したとなると態度を一変させるのである。

私も時々看護師が羨ましくなることがある。看護師は大体三交代勤務なので、就業時間が終われば患者さんの状態がどうであれ、後任に状態を引き継いで足早に帰っていく。

ところが医師はそんなわけにはいかない。患者さんの主治医である以上、容態が危なくなったりすると責任をもって状態が落ち着くまで病院に留まって対応しなければならない。

危篤状態が続けば何日もまともに家には帰れないし、休日出勤も当たり前である。

どんなに誠実に頑張っても望まれた結果が伴わなければ、家族や患者さんから罵倒されたり訴えられたりするのである。

それだけのリスクを伴うわけであるから、医師という職業が特別扱いされたとしても丁度釣り合うのかもしれない。

医師の診断書

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成人後見人制度といって、事前に後見人を決めておけば、例えば認知症の高齢者が悪徳業者に偏され高額の商品を買わされても後で取り消すことができたり、後見人以外の人物が勝手に本人の財産を処分できないように制限できたりするのである。

後見人を認定するのは家庭裁判所であるが、本人に財産を管理する判断能力があるかないかを診断するのは医師の仕事である。場合によっては鑑定書の作成を依頼されることがある。本人が莫大な財産を持っている場合、親族間で利害関係が絡み話がややこしいケースもある。

児童思春期関係では、例えばほとんど学校に行けていない引きこもりの高校生を進級させるか卒業させるかの職員会議が毎年2月頃学校で開かれるが、その際も主治医の意見書が少なからず影響するようである。「児童の将来性を考慮して進級させた方がいい」とか「これ以上、頑張らせたら余計に精神症状が悪化する」などの意見書を書くのである。

さらに、家庭内でいろいろな問題を抱えた児童、非行少年に対して意見書を書き、その後の彼らの処遇に大きく関係することもある。このように医師の診断書は患者さんのライフイベントに関係し、大きな影響力を持つのである。

それだけに医師の診断書は一種のレッテル貼りにもなりかねない。ある医師にこの患者さんは「統合失調症だ」、「人格障害だ」と一度診断されると、実は違ったとしても一生患者さんに付いてまわるのである。

実は私も会社員時代、会社の集団健康診断で、アルバイトの内科研修医だと思うが、間違って結核と診断されてしまったことがある。

診断は胸部レントゲン写真の判定のみで、その他の検査など一切行われておらず、恐らく他人と間違えられた可能性があるのだが、その後も結核の診断はずっと私に付いてまわり、会社でもいろいろと苦労する羽目になった。

結局、あるベテランの内科医にきっぱり否定してもらって診断は除外されたが、一度医師に間違って診断されたら、その後、既往歴として病名がついてくるので、場合によっては大変な目に遭わせることもあり、医師の影響力と責任は何かと大きいのである。

膨大な種類の診断書・意見書

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日常診察で診断書や意見書を書く機会が実に多い。

医師が作成する診断書などの書類は出生証明書から死亡診断書までライフイベントに関連するだけある。

精神科に関連する診断書を例にとると、うつ病などで会社や学校などを休む場合、病名と自宅静養の見込み期間、どんな配慮が必要か等を記した診断書の提出が必要なことが多い。

また精神科の場合、精神疾患のため就労できない患者さんも少なくなく、家族の経済的援助がなければ生活保護を利用しないと実質生きていくことは困難である。

そこで生活保護を申請する患者さんが多いが、その申請時に就労の可否が判定に必要な場合、主治医にその意見を求められる。

主治医は患者さんの症状に応じて「労働可」、「軽作業なら可能」、「労働不能」のいずれかに印をつけるのであるが、中には働きたくないために、労働不能という診断書を書いてくれと凄む患者さんもいる。

その辺りをきちんと対応し判断しなければならないが、医師の判断で生活保護を受けられるかが決まることが多いので責任は大きい。

生活保護の診断書以外にも金銭が絡む診断書・意見書を作成することは多々ある。

入院証明書、自立支援医療費診断書(条件によるが認定されれば通院費の3割自己負担が減額される)、精神障害者保健福祉手帳、障害年金診断書などのほかに、介護保険意見書、労災補償保険の休業補償給付申請などがある。

まだ書いた経験はないが、例えば阪神淡路大震災や東日本大震災、JRの尼崎列車脱線事故の生存者にみられるようにPTSD(外傷後ストレス障害)といった概念が度々聞かれるようになり、補償問題とも関係して、今後もPTSDだという診断書を書く必要性も増えてくるであろう。